2005年 05月 06日
MY SANSHIN LIFE |
昨日は寒川のカラオケ教室20周年記念のカラオケ発表会のゲストということで、茅ヶ崎三線クラブのメンバー7人とヘルニア療養から復帰したばかりの僕の先生とで3曲、歌と三線を披露してまいりました。
三線を始めて2年と9ヶ月が過ぎた。飽きっぽい自分がこんなにのめり込むとは自分でも全然予想していなかった。そもそも物心がついて音楽を聞くようになってから、自分も何か楽器が弾けるようになったらいいなあとは思っていた。昔はギターに手を出したりしたこともあったが続かなかったが、かっこいいミュージシャンへの憧れは、少年が大きくなったら野球の選手になるんだとか言っているのと何も変わらない。40歳を過ぎてもこの思いは続いていた。いやむしろもっと大きく膨らんでいった。ここ10年くらいはインターネット経由で色々な情報が入るようになり、それ以前では考えられないくらい色々なアーチストのライブを身近に接することができるようなった。目の前で素晴らしい歌や演奏を繰り広げる憧れのミュージシャン達、また歌も演奏もお世辞にも上手とは言えない素人の友達のステージや。腕前は天地の差があるが、この両者から音楽をすることの楽しさ、深さを幾度となく教えてもらった。やっぱりオレも、音楽を聞くだけではなくしてみたい。
こんなオレが三線に出会ったのが44歳のときだった。大好きだったどんとの追悼イベントで知り合った自分より一回り若い三線弾き。聞くところによるとどんとも師事していた沖縄の民謡歌手、照屋政雄のもとで修行したという。今度湘南に引越しするからまたどこかで会うでしょ、その時はよろしく、って感じでその時は別れた。その次にあったのは彼がちょうど茅ヶ崎に居を構えたばかりのときだった。それは偶然にもオレの家のすぐ近所。その上なんと今度三線を教えようかと思うんだけどと言うではないか。今の自分にとって渡りに船とはこのことか、と思った。そうこうしているうちに彼の三線教室の生徒第一号として念願の楽器演奏デビューを果たすことになったのであった。
習い始める前は三線を弾くことしか頭になかったのだが、聞いてみれば三線は歌の伴奏楽器であって、歌三線という言葉もあるくらい、まず歌有りきなのだそうだ。この辺もはまってしまった理由かもしれない。自分一人で歌と伴奏ができるなんて、ギターの弾き語りと同じだ。
中学生のころフォークギターを買ってジャカジャカやったけどそれから先にすすまなかったのには幾つか理由がある。ひとつは技術や知識を教えてくれる教師、いっしょに練習したり遊んだりする仲間が周りにいなかった。それからもうひとつは、指でフレットを押さえるときに後ろからギターのネックを支える左手の親指、ボクの場合この親指の関節が生まれつき伸びずに硬くこわばったままであった。そのためにギターの太いネックを支えフレットを押さえる力が十分に出ずに苦労した。その後左手親指の関節は大人になってから少しずつ伸びて後ろに反りかえるようになってきたが、時すでに遅しと思って楽器を手にすることはなかったのだ。しかし、よく言われることだが、なんでももう手遅れってことはないのだ。もう今更この年で始めてもしかたがない、って考えるのは非常につまらないってことを実感した。
習い始めた始めの頃はなかなか上達もしないものだか、好きこそ物の上手なれとはよく言ったもので、やっているうちに少しずつ色々な事が見えてくるし、理解の速度も徐々に早まってくる。今は一番おもしろい時期なのかもしれない。とにかく四十六時中三線を弾いていたいのだ。もっともっと歌って弾いて、もっともっと上手になりたい、って言うか弾いて歌ってることが楽しくてしかたがない状態だ。まあ、あせらずに来月47歳になるオヤジがどこまで行けるのか自分で自分が楽しみなところである
三線を始めて2年と9ヶ月が過ぎた。飽きっぽい自分がこんなにのめり込むとは自分でも全然予想していなかった。そもそも物心がついて音楽を聞くようになってから、自分も何か楽器が弾けるようになったらいいなあとは思っていた。昔はギターに手を出したりしたこともあったが続かなかったが、かっこいいミュージシャンへの憧れは、少年が大きくなったら野球の選手になるんだとか言っているのと何も変わらない。40歳を過ぎてもこの思いは続いていた。いやむしろもっと大きく膨らんでいった。ここ10年くらいはインターネット経由で色々な情報が入るようになり、それ以前では考えられないくらい色々なアーチストのライブを身近に接することができるようなった。目の前で素晴らしい歌や演奏を繰り広げる憧れのミュージシャン達、また歌も演奏もお世辞にも上手とは言えない素人の友達のステージや。腕前は天地の差があるが、この両者から音楽をすることの楽しさ、深さを幾度となく教えてもらった。やっぱりオレも、音楽を聞くだけではなくしてみたい。
こんなオレが三線に出会ったのが44歳のときだった。大好きだったどんとの追悼イベントで知り合った自分より一回り若い三線弾き。聞くところによるとどんとも師事していた沖縄の民謡歌手、照屋政雄のもとで修行したという。今度湘南に引越しするからまたどこかで会うでしょ、その時はよろしく、って感じでその時は別れた。その次にあったのは彼がちょうど茅ヶ崎に居を構えたばかりのときだった。それは偶然にもオレの家のすぐ近所。その上なんと今度三線を教えようかと思うんだけどと言うではないか。今の自分にとって渡りに船とはこのことか、と思った。そうこうしているうちに彼の三線教室の生徒第一号として念願の楽器演奏デビューを果たすことになったのであった。
習い始める前は三線を弾くことしか頭になかったのだが、聞いてみれば三線は歌の伴奏楽器であって、歌三線という言葉もあるくらい、まず歌有りきなのだそうだ。この辺もはまってしまった理由かもしれない。自分一人で歌と伴奏ができるなんて、ギターの弾き語りと同じだ。
中学生のころフォークギターを買ってジャカジャカやったけどそれから先にすすまなかったのには幾つか理由がある。ひとつは技術や知識を教えてくれる教師、いっしょに練習したり遊んだりする仲間が周りにいなかった。それからもうひとつは、指でフレットを押さえるときに後ろからギターのネックを支える左手の親指、ボクの場合この親指の関節が生まれつき伸びずに硬くこわばったままであった。そのためにギターの太いネックを支えフレットを押さえる力が十分に出ずに苦労した。その後左手親指の関節は大人になってから少しずつ伸びて後ろに反りかえるようになってきたが、時すでに遅しと思って楽器を手にすることはなかったのだ。しかし、よく言われることだが、なんでももう手遅れってことはないのだ。もう今更この年で始めてもしかたがない、って考えるのは非常につまらないってことを実感した。
習い始めた始めの頃はなかなか上達もしないものだか、好きこそ物の上手なれとはよく言ったもので、やっているうちに少しずつ色々な事が見えてくるし、理解の速度も徐々に早まってくる。今は一番おもしろい時期なのかもしれない。とにかく四十六時中三線を弾いていたいのだ。もっともっと歌って弾いて、もっともっと上手になりたい、って言うか弾いて歌ってることが楽しくてしかたがない状態だ。まあ、あせらずに来月47歳になるオヤジがどこまで行けるのか自分で自分が楽しみなところである
by takasin26 | 2005-05-06 10:57 | event
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